野菜マシマシカラアゲカラメ。

「実録!東大大学院 総集編」編著者のブログです。

大学院(博士課程)を辞めて就職しました

私、かっぱ巻きRCは、2015年3月に東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士後期課程を単位取得満期退学し、2015年4月にある民間企業に就職しました。


「単位取得満期退学」というのは、所定の修業年限(3年間)以上在学し、所定の単位を修得したものの、博士論文を提出しないまま退学すると得られる肩書きです。つまり、博士号は取得していないことになります。「単位取得満期退学」が単なる「退学」と異なるのは、退学してから3年以内(※私のいた専攻の場合)に博士論文を提出し学位審査にパスすると、課程博士として博士号が取得できる機会が得られるという点にあります。こうした優遇は学部や修士課程にはない博士課程だけの特典で、実際にこうした制度を利用し何年もかけて博士号を取得される方はちらほら見かけます。
もっとも、私は現在非研究職に従事していることもあり、単位取得満期退学後に博士号取得を目指すことは考えていません。


大学院の博士課程まで進学した人の多くは研究職を目指し、実際大学教員や企業の研究者などの職を得ていきます。その中で私はなぜ大学院を辞め、博士号を得ることなく非研究職に就くことにしたのか。この点について振り返ってみようと思います。



私は幼い頃から「学ぶこと」が大好きな人間でした。小学生の時はとくに社会科に強い興味を示し、近くの町を歩いて地図を作ったり、歴史上の人物を誰よりも多く覚え、“歴史検定”を自作しクラスメートに解かせたりして遊んでいました。小学校の卒業文集には「将来の夢は大学教授」と書いており、この頃から大学教員という職業に憧れを持っていました。
その後興味の対象が何度か替わり、高校3年の頃は化学を学びたいと思うようになり、大学学部では理学部化学科に進学しました。さらにその後色々なことがあって認知科学に興味を持ち、研究するならこの分野だと思って大学院で専攻を切り替えました。
大学院を志望した当初は、認知科学専攻の研究者として大学教員になることを目指していました。認知科学は日常生活の中に研究テーマが転がっている点がとても魅力的で、一生をかけて研究するに足る分野だと思いました。一方、私は「教育」にも深く携わりたいと考えていました。これは、私自身が学ぶことが大好き人間だから、他の人たち、とくに子供たちにも学ぶ楽しさを知ってほしいという単純な想いがあったからです。大学教員は研究と教育の両方に携わることができる点でうってつけの職業だと考えたのです。


かくして私は東京大学大学院に入学し、期待を裏切らない充実した研究環境に身を置き、素敵な教員・研究者・学生らと刺激的な毎日を送ることができました。大局的に見れば、学ぶことが好きな人間にとって、東大大学院ほど過ごしやすい場は日本には他にないでしょう。あまりの恵まれぶりに、こうした場に安住しているだけで私は本当に良いのだろうか、と思いを馳せるようになりました。
たとえば、東大大学院入試には他大学の学部出身者(外部生)が数多く志願しますが、東大学部出身者(内部生)よりも情報戦において不利に立たされています。そこで、意欲と適性のある外部生がもっと東大大学院を目指しやすくなればと思い、「実録!東大大学院」という同人誌を発行する企画を始めました。当初は東大の大学祭でしか頒布していなかったので読者の多くは内部生でしたが、最終的には全国で販売されるようになり外部生にも手に取ってもらいやすくなりました。
また、私の故郷である岐阜県のような田舎では、東京のような都会に比べて学校・予備校が少ないなど、日本国内で教育機会に格差が生じています。そこで、住んでいる場所によらず学ぶ手段の選択肢を増やしたいと考え、授業動画をWebで配信するサイトmanaveeの講師を務めました。
東大大学院にいるような人の多くは、学ぶ楽しさと学ぶ方法をすでに心得ています。そうした人たちが学界など様々な場で活躍するのは喜ばしいことであり応援すべきことだと思います。けれども、そうでない人たちにも学ぶ楽しさや学ぶ方法を広く知ってもらえたならば、社会は一層ハッピーになるのではないか。そして、私が生涯をかけてチャレンジすべきはこうした領域なのではないか、と考えるようになりました。


私は学振DCに3度落ち(しかもすべて不採用C)、お世辞にも高評価を受けるような研究者ではありませんでした。唯一筆頭著者で出した原著論文もニッチな研究テーマゆえに、貢献できる相手の範囲は限られています。
一方で、私は「実録!東大大学院」やmanaveeでの活動などを通して、より多くの人の人生に僭越ながら貢献できているという実感を得ることができました。もとより、あるひとつの分野を極めたいというよりは、自分のアイデアで多くの人を楽しませたい、多くの人の役に立ちたいという性分なのかもしれません。
そういうわけで、より自分に合った活躍の場を求めて、博士課程2年の頃から非研究職向け就職活動を始めました。昭和生まれがいわゆる「15卒」の就活市場に潜りこんだので、あちこちで奇異な目で見られた感がありますが、幸いある民間企業とご縁があり、無事入社する運びとなりました。


この記事を書いている時点では、入社して1週間しか経っていません。まだ見えていないことばかりですが、やはり企業でのビジネスは個人事業に比べて格段に規模が大きく、社会に与える影響も大きいのだなという感想を持ちました。色々な制約はあるでしょうが、組織の力と会社の看板の力で、一人ではできなかった企画に取り組めるのはやりがいのあることだと思います。当分は、そうした仕事を実現できるよう、日々精進していく所存です。



「あのかっぱ巻きRCがまさか大学院を辞めて就職するとは!」
と思った友人知人の皆様。私はこのような状況で元気に過ごしておりますので、どうぞご安心頂き、今後とも変わらぬお付き合いのほどよろしくお願いいたします。